以下は、自分の仕事として、さまざまな地域の課題に住民とともに取り組んでいる人が書いた文章である。よく考えてみれば、幼稚園のころから僕はずっとヨソモノ(注1)だったような気がする。親が転勤族だったため、おおむね4年に一度は転校生になる。クラスに馴染んできた(注2)なぁ、と思ったころに引越しすることになる。幼稚園も小学校も中学校もふたつずつ通った。そのたびに転校生としてクラスをヨソモノの視点から観察する。誰がクラスのボス(注3)なのか。誰と仲良くなると仲間に入れてもら'いやすいのか。誰と誰は仲が良くて、誰とは仲が悪いのか。そういうことばかり読み取ろうとしていた。自分でも嫌な小学生だと思っていたが、そうやって自分の立ち位置を見つけなければクラスの中に入っていくのが難しかった。いまも①同じことをしているような気がする。集落(注4)へ行っては、誰が権力者(注5)なのか、誰が正しいことをいっているのか、誰の意見が重視されているのか。誰と誰は仲がいいのか。そんなことを読み取ろうとしている。そして、4年くらい経ったらその集落からいなくなる。いまでも転校生のような生活である。そんな少年時代だったから、「出身地はどこですか?」と聞かれるのがつらい。どこも4年間しか住んでいないので、出身地は適当に決めるしかない。出生地(注6)は明確だが、僕の場合は生後2年間しかその場所に住んでいない。もちろん当時の記憶はない。だから「ふるさと」を持つ人に対する憧れがある。「いつかは地元に戻って働きたいと思っているんだ」「出身地を元気にしたいと思っています」という言葉を聞くたびに②羨ましくなる。逆に、ふるさとを悪くいう言葉を聞くのはつらい。「田舎だから」「何もないから」「足を引っ張り合う(注7)」「新しいことができない」。せっかくふるさとを持っているのに、それを悪くいうのはもったいない。ふるさとはいい場所であって欲しい。だから、その手伝いがしたいと思う。どこまで行ってもヨソモノだが、その立場から少しでもふるさとがいい状態になるように努力したい。どの場所も、たくさんの人にとってのふるさとであり続けるのだから。(山崎亮『コミュニティデザインの時代』による)
(注1)ヨソモノ:よそから来た人(注2)馴(な)染(じ)む:慣れて親しくなる(注3)ボス:ここでは、力を持った人(注4)集落:ここでは、村のようなところ(注5)権(けん)力(りょく)者:ここでは、力を持った人(注6)出生地:生まれた場所(注7)足を引っ張り合う:成功するのをじゃまし合う